煽る [日記・雑感]
私、leafは最近悲しい。
大好きな登坂アナが、北海道へ異動になってしまったのだ。
おおう。
彼が定時ニュースを読む日も残り少なになってしまったというのに、
今日は横尾アナが代打だった。
きっと引越し準備とかしているんだろうな。
そんな今日のニュースは、アメリカで医療保険法案が可決された、というものだった。
アメリカは国民健康保険のような医療保険制度がないので、任意で加入するしかないんだそう。
けれども、未加入者が5000万人にものぼるそうで、
医療費が捻出できずに破産に追い込まれる人が、
破産者の実に80%近くもいるんだそう。
その辺の事情は、M・ムーア監督の『シッコ』で取り上げられているそうだけれど、
あいにく私は未見。
TSUTAYAがつぶれる前に見とくんだった。
同じくM・ムーア監督の『ボーリング・フォー・コロンバイン』の中に、
彼ら取材クルーがお隣のカナダへ取材に行くくだりがある。
そこで、
「病院にかかっても、医療保険が適用されるから、さしあたってお金は払わない」
と、カナダ人(たしか学生だったと思う)から聞いた彼らが、唖然、としているシーンがあった。
唖然としている彼らに、逆にこっちがびっくりした記憶がある。
そのとき初めて、アメリカには公的医療保険制度ってものがないんだ、と知った。
いろんな国に行ったことのあるオバマさんだからこその、今回の「改革」なんだろうな、と思った。
『ボーリング・フォー・コロンバイン』の中には、
実際には犯罪率は減少傾向にある、という衝撃的事実とその数字が提示されていた。
けれども、その事実はメディアで取り上げられることはなく、
凄惨な殺人事件が大々的に取り上げられ、
「この国は危険だ」という恐怖感を植えつけられる。
そのほうが、数字になるだろうし、
それで商売が成り立つんだろう、と思う。
恐怖で商売が成り立ち、恐怖で国民統制が成り立つ。
それが、あの国の正体なんではないか、と
『ボーリング・フォー・コロンバイン』を見たときにも、そして、今読んでいる本でも、感じる。
考えてみれば、
アメリカの「お家芸」ともいえる映画。
80年代や90年代初頭にヒットした映画、たとえば『トップガン』や『レッドオクトーバーを追え』なんて、露骨にソ連を敵国として駆逐すべき、と煽っている。
戦争教育を受けた日本人からみると、あんなに露骨に敵国を名指しして、露骨に駆逐しようとしているのに、若干の違和感を感じていた、と思う。
日本じゃ、「敵をやっつける」って言えば、特撮ヒーローもの(つまり、「架空のもの」)か、戦時中を描いた歴史映画(つまり、「過去のもの」)でしかないものだったから、かもしれない。
90年代に入って、アメリカ映画は迷走を始める。
冷戦終結後、「敵」の存在がなくなり、国民に植え付けるべき「恐怖」がなくなり、国民統制の足がかりが失われたからだと思う。
結果、代わりに何を「恐怖」の対象、つまり「敵」に仕立て上げたか、といえば、
『インディペンデンス・デイ』に代表されるような、敵。
つまり、
「宇宙人」だぜ、おい。
もしくは、
『フォレスト・ガンプ』みたく、アメリカの歴史を振り返り、その足取りを共有・共感することでもって、国民の統制を図る、てな手段に出るしかなかった。
それを見て、「なんで人類を救うのがアメリカ人限定なんだ」と思った私。
「私、アメリカ人じゃないから、この映画の実感がない。よく分からない」と思った私。
2000年代に入ってすぐに、同時多発テロが起こってからは、
アルカイダやビン・ラディン、もしくは広義に「テロリスト」そのものが目下の「敵」となった。
もしくは、『デイ・アフター・トゥモロー』などにみる、環境破壊なんかで人類が滅亡する、という「恐怖」ね。
アメリカ映画には、常に「敵」や「恐怖」が設定されていて、それを駆逐することでアメリカ人が団結する、という構図を理想としているものが多いなあ、と気づくと、
私たちが、単純にエンターテインメントとして享受しているアメリカ映画って、
アメリカ人にとっては、国民統制の、紛れもないプロパガンダの道具なんじゃないだろうか、と思い始めてきた。
そう考えると、ちょっとアメリカ映画、怖くね?と。
さっきの『ボーリング・フォー・コロンバイン』からこっち、アメリカ人は常に怖がらされ続けている、との印象が強く、そう考えて映画の歴史を振り返ると、それを裏付けるような構図が出来上がってる。
うわあ、こえー、と思った。
あんな立派な大国なのに。
・・・まあ、あくまでも『ボーリング・フォー~』を見て以降は、私の完全な想像なんだけれども。
と、
思ったら。
さらに、それを裏付けるような本を、今まさに読んでいるわけで。
アメリカにも「おいみんな、踊らされてるぞ。気をつけろ!」と警鐘を鳴らしたい、冷静なアメリカ人がちゃんといて、声を発しているんだろうと思う。
それが、今読んでいる本の作者であったり、M・ムーア監督だったりするんだろうと。
続きは、その本を読み終わってから書くことにします。
大好きな登坂アナが、北海道へ異動になってしまったのだ。
おおう。
彼が定時ニュースを読む日も残り少なになってしまったというのに、
今日は横尾アナが代打だった。
きっと引越し準備とかしているんだろうな。
そんな今日のニュースは、アメリカで医療保険法案が可決された、というものだった。
アメリカは国民健康保険のような医療保険制度がないので、任意で加入するしかないんだそう。
けれども、未加入者が5000万人にものぼるそうで、
医療費が捻出できずに破産に追い込まれる人が、
破産者の実に80%近くもいるんだそう。
その辺の事情は、M・ムーア監督の『シッコ』で取り上げられているそうだけれど、
あいにく私は未見。
TSUTAYAがつぶれる前に見とくんだった。
同じくM・ムーア監督の『ボーリング・フォー・コロンバイン』の中に、
彼ら取材クルーがお隣のカナダへ取材に行くくだりがある。
そこで、
「病院にかかっても、医療保険が適用されるから、さしあたってお金は払わない」
と、カナダ人(たしか学生だったと思う)から聞いた彼らが、唖然、としているシーンがあった。
唖然としている彼らに、逆にこっちがびっくりした記憶がある。
そのとき初めて、アメリカには公的医療保険制度ってものがないんだ、と知った。
いろんな国に行ったことのあるオバマさんだからこその、今回の「改革」なんだろうな、と思った。
『ボーリング・フォー・コロンバイン』の中には、
実際には犯罪率は減少傾向にある、という衝撃的事実とその数字が提示されていた。
けれども、その事実はメディアで取り上げられることはなく、
凄惨な殺人事件が大々的に取り上げられ、
「この国は危険だ」という恐怖感を植えつけられる。
そのほうが、数字になるだろうし、
それで商売が成り立つんだろう、と思う。
恐怖で商売が成り立ち、恐怖で国民統制が成り立つ。
それが、あの国の正体なんではないか、と
『ボーリング・フォー・コロンバイン』を見たときにも、そして、今読んでいる本でも、感じる。
考えてみれば、
アメリカの「お家芸」ともいえる映画。
80年代や90年代初頭にヒットした映画、たとえば『トップガン』や『レッドオクトーバーを追え』なんて、露骨にソ連を敵国として駆逐すべき、と煽っている。
戦争教育を受けた日本人からみると、あんなに露骨に敵国を名指しして、露骨に駆逐しようとしているのに、若干の違和感を感じていた、と思う。
日本じゃ、「敵をやっつける」って言えば、特撮ヒーローもの(つまり、「架空のもの」)か、戦時中を描いた歴史映画(つまり、「過去のもの」)でしかないものだったから、かもしれない。
90年代に入って、アメリカ映画は迷走を始める。
冷戦終結後、「敵」の存在がなくなり、国民に植え付けるべき「恐怖」がなくなり、国民統制の足がかりが失われたからだと思う。
結果、代わりに何を「恐怖」の対象、つまり「敵」に仕立て上げたか、といえば、
『インディペンデンス・デイ』に代表されるような、敵。
つまり、
「宇宙人」だぜ、おい。
もしくは、
『フォレスト・ガンプ』みたく、アメリカの歴史を振り返り、その足取りを共有・共感することでもって、国民の統制を図る、てな手段に出るしかなかった。
それを見て、「なんで人類を救うのがアメリカ人限定なんだ」と思った私。
「私、アメリカ人じゃないから、この映画の実感がない。よく分からない」と思った私。
2000年代に入ってすぐに、同時多発テロが起こってからは、
アルカイダやビン・ラディン、もしくは広義に「テロリスト」そのものが目下の「敵」となった。
もしくは、『デイ・アフター・トゥモロー』などにみる、環境破壊なんかで人類が滅亡する、という「恐怖」ね。
アメリカ映画には、常に「敵」や「恐怖」が設定されていて、それを駆逐することでアメリカ人が団結する、という構図を理想としているものが多いなあ、と気づくと、
私たちが、単純にエンターテインメントとして享受しているアメリカ映画って、
アメリカ人にとっては、国民統制の、紛れもないプロパガンダの道具なんじゃないだろうか、と思い始めてきた。
そう考えると、ちょっとアメリカ映画、怖くね?と。
さっきの『ボーリング・フォー・コロンバイン』からこっち、アメリカ人は常に怖がらされ続けている、との印象が強く、そう考えて映画の歴史を振り返ると、それを裏付けるような構図が出来上がってる。
うわあ、こえー、と思った。
あんな立派な大国なのに。
・・・まあ、あくまでも『ボーリング・フォー~』を見て以降は、私の完全な想像なんだけれども。
と、
思ったら。
さらに、それを裏付けるような本を、今まさに読んでいるわけで。
アメリカにも「おいみんな、踊らされてるぞ。気をつけろ!」と警鐘を鳴らしたい、冷静なアメリカ人がちゃんといて、声を発しているんだろうと思う。
それが、今読んでいる本の作者であったり、M・ムーア監督だったりするんだろうと。
続きは、その本を読み終わってから書くことにします。
2010-03-22 18:19
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